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第36回 白山信仰と袋井24 袋井・浅羽からの白山巡礼13

 

三山禅定への出発

山頂からは来た道を戻らず、噴火口内のガレ場を、足元を確認しながら、一歩一歩下ってゆく。白山地獄を通過する頃には辺りはすっかり明るくなって青空が拡がっていた。


一行は来た道を引き返すのではなく、ここから加賀禅定道を20時間近く下り、白山比詳神社のある加賀馬場を経由して、北陸道を通り、国堺の難所で木曾義仲の平家との戦いで有名な倶利伽羅峠を越えて、越中国に出、富山城下を抜けて常願寺川沿いに登り、立山の岩峅寺(いわくらじ)へと向かう。ここで身支度を調え、立山先達の指導で立山室堂から山頂浄土へと歩みを進める。


下山後は→越後との国堺、親不知・子不知の難所を越え、信州戸隠山→長野善光寺→甲斐善光寺→富士吉田→富士山山頂→冨士浅間宮を経由してようやく袋井に戻る長旅へと出発するのであった。


これは三山(白山・立山・富士山)禅定と呼ばれ、室町時代に成立した中日本を廻る我国最大規模の巡礼で、江戸中期以降隆盛となった全日程約三ヶ月の長旅で、袋井周辺からも多くの参詣者が歩いた。


現代とは違って、旅は生涯に数度しかできなかったから、霊山・霊場の巡礼は庶民にとって、数少ない「日本」を知るチャンスであった。登山という近代スポーツは明治以降もたらされ、気軽に楽しめるようになるのは、昭和30年代以降になってからであった。-終り- (山)