トップページ > 図書館だより・出版物> 伝えたい袋井のあゆみ> 第96回 御霊信仰と袋井24 津島信仰の拠点2 

第96回 御霊信仰と袋井24 津島信仰の拠点2

 

遠州の祇園(牛頭天王)信仰は愛知県津島神社(津島牛頭天王)の影響が大きく、津島御師が熱心に布教に訪れたことから各村では「津島講」が結成され、毎月15日に「津島牛頭天王」と神名が書かれた軸を掲げて講員が祭礼を行うところもあった。


本社の愛知津島神社の祭礼に代参者を出し、神札をいただいて村での天王祭を行う事例もあった。第89回目に紹介した西同笠(にしどうり)村がその一つで、「戦後もしばらくは、毎年、出かけて檀家の契約をした御師の宿坊に泊まって接待を受け、二日にわたる祭礼を見物したのち、御札を授かり持ち帰った」という話しを古老から直接聞き取りしたことがある。


この祭礼は宮島の「管弦祭」、大阪の「住吉祭」と共に日本三大川祭と呼ばれるほど、盛大に繰り広げられるもので、近世には歴代の尾張藩主も度々訪れた。かつては旧暦6月14・15日に行われていたが、現在は7月第四土・日曜日に行われている。


京都の祇園祭では山鉾の巡行が行われるが、津島天王祭では津島が伊勢と尾張を繋ぐ湊町であったことから川に船を浮かべてこれを行うわけだ。土曜の宵祭りでは午後七時頃から五隻のまき藁船の提灯に明かりが一つ一つ灯され、九時頃になると囃子方が「津島笛」を奏でながら一斉に漕ぎ出して御旅所に向かう。


翌朝は装いを替え、提灯を外して二段屋台を乗せた車楽船(だんじりぶね)という姿に変身して朝祭りが行われ、見る者を楽しませてくれる。


地域に伝わる伝統や風習は祇園祭ひとつを取り上げてみても、長い年月の積み重ねと、人々の交流が背景に存在している。しかし、その繋がりを知る人は殆どいなくなってしまった。袋井のあゆみを記し伝えることは今を生きる者の大切な役割だと思う。(完)