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第95回 御霊信仰と袋井23 津島信仰の拠点1

 

神社や寺院は本来、何のために存在するのか、考えたことがあるだろうか。我々は観光でいろんな場所に行き、そこの寺社を訪れる機会も多いはずだ。拝観寺院では文化財に指定された建築や庭園、仏像、襖絵、寺宝等を鑑賞し、歴史の重みを直に感じ満足して帰る。


これに対し殆どの神社は、これといって、特に鑑賞するものがなく、参拝を済ませると、帰ってしまう。確かに普段は殺風景な空間かもしれないが、神を祀る祭礼や神事を行う時には一変し、賑わいと熱気で満ちあふれた特別な空間となる。「やしろ」(屋代)は社会の「社」という漢語を充てたように、人々が集い社会を形成する特別のハレの空間だ。もちろん、寺院の仏堂も法会(ほうえ)と呼ばれる仏事を執り行う空間で、我々はその抜け殻を鑑賞しているに過ぎないわけだ。


89回から93回にかけての5回にわたり、遠州の海岸低地で続けられている杉の葉で作った「オカリヤ(御仮屋)」を紹介したが、これらはいずれも「津島さま」と呼ばれている。その本社は濃尾平野の海岸低地に所在する「津島牛頭天王社(つしまごづてんのうしゃ)」で明治以降は津島神社(愛知県津島市)と呼んでいる。


これについては、86回に紹介したが、江戸時代になると「津島御師(つしまおし)」と呼ばれる宗教者が各地を廻って津島牛頭天王の功徳を宣伝し布教したことから、遠州の河川流域の各村では「津島講」と呼ばれる講が組織され、御師による配札が行われた。各村では祇園の祭礼の日に杉の御仮屋を設け、中にこの御札を祀って村中の厄を集める祭礼を夜通し行い、翌朝、御仮屋を川に流して村内を浄化した。津島神の神事は川祭を行うところに特徴があるわけだ。 (山)