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第88回 御霊信仰と袋井16 遠州への波及4

 

袋井市内で最も賑やかに祇園の祭礼を行うのが山名の天王祭だ。今年も山梨の山名神社(明治以前は「山名天王社」と言った)から太田川沿いに所在する御旅所(おたびしょ)である、若宮八幡宮まで祭神の神霊を移した神輿の渡御(とぎょ)が行われる予定だ。


祭礼時に祭神ゆかりの場所に神霊を乗せた神輿が渡御し、一夜から数日間留まる仮宮のことを御旅所という。ここに八幡の若宮(御子神)が祀られるようになったのは明治初期のことで、それ以前は「御旅所」とのみ呼ばれていた。


この地は、太田川上流から流れてきた神霊が漂着したゆかりの土地で、山梨で天王社が最初に祀られたところだと伝える。しかし、太田川の流路は時代と共に変化し、これに併せて御旅所の位置も幾度となく動いて、現在の地に落ち着いた。


御旅所のすぐ横の太田川には板築橋(いたつきばし)という橋が架けられているが、現在地に設置されたのは県道の付け替えに伴う昭和52年のことで、旧板築橋は100メートル近く上流に架けられていた。


古くは渡船であったものが、明治初期に板架けの潜り橋が設けられ、明治12年に地元の幡鎌亀吉という人が高橋を架けて、「板築橋」と名付けたという。その由来は謀反の疑いをかけられた橘逸勢が伊豆へ護送される途中、遠江板築駅で病没するが、逸勢の供養塔(鎌倉後期の五輪塔)が山梨で祀られていることから、山梨こそ板築駅にちがいないと考えたからだ。


六国史の一つ『日本文徳天皇実録』には逸勢の後を追って都から下ってきた娘が板築の地に父を埋葬し、尼となり名を妙冲と改め、墓の近くに草庵を営み、菩提を弔ったと記しており、その場所が御旅所だと地元では伝えている。御旅所に年に一度里帰りする山名天王社のご祭神とは、御霊となった橘逸勢というわけだ。(山)