都やその周辺で展開した御霊信仰が遠州に入ってくる道筋の二番目として、祇園の系統について説明しよう。袋井市内で祀られている御霊信仰のほとんどの神社が、この「祇園」と呼ばれるものだ。
市内に所在する祇園系の神社は、本社である平安京の祇園社感神院(ぎおんしゃかんしんいん/現在の八坂神社)から勧請(かんじょう/神霊を分祀すること)したものと、尾張国(現在の愛知県)津嶋牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ/津嶋社と略す)から勧請したものとの2系統がある。
市内には「天王さん・津嶋さん」と呼ばれる神社や境内社、祠が各村に多数所在しているが、その本社がこの津嶋社であることを知る人は少ないだろう。七月に盛大に行われる山梨天王祭の山名天王神社は平安京の祇園感神院の系統で、津嶋社系とは異なり、その数は少ない。
津嶋社が所在する津嶋の地は広大な濃尾平野を形成した木曽三川(きそさんせん/木曽川・長良川・揖斐川)が合流する平野の末端で、伊勢湾に注ぎ込む直前にあたり、幾筋もの支流が入り組んで川と海との接点をなしており、津嶋港は水上交通の要所であった。
尾張国を統一した織田氏は津嶋社を氏神として崇敬し、境内の堂社造営に尽力すると共に、門前町では楽市楽座を行い、港の整備を進めるなど経済振興を図ったことから、津嶋港は熱田社のある熱田港とともに、戦国大名織田氏の財政を支えたわけである。
天下統一を果たした豊臣秀吉は信長の意志を引き継ぎ、津嶋社を保護したので益々発展することになる。津島社は伊勢神宮にならって津嶋御師(つしまおし)と呼ばれる、布教者を多数抱えて東海地方から関東地方にかけて活動させたので、江戸時代初期には津嶋社の神霊を勧請した社や祠が各村に多数設けられるようになる。こうして、袋井市内に多数の津嶋社が成立したわけだ。(山)