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第85回 御霊信仰と袋井13 遠州への波及1

 

都やその周辺で展開した御霊信仰が遠州に入ってくる道筋には大まかであるが御霊系と祇園系、これに天神系を加えた3系統に整理することができるようだ。まずは、天神系について説明しよう。


天神で御霊というと、学問の神様で知られる菅原道真のことである。道真は藤原氏の陰謀によって福岡県大宰府に左遷され、二年後の延喜3年(903)に死去し同地(現大宰府天満宮)で葬られたが、その後、京の都で異変が相次いで起こる。


延喜9年(909)に道真の政敵であった藤原時平が39歳の若さで病死、延喜13年(1573)には道真の後任の右大臣源光が死去。 延喜23年(923)には醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥)が、次いで延長3年(925)その息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫)が相次いで病死。 極めつけは延長8年(930)朝議中の清涼殿が落雷を受け、道真の左遷に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ、朝廷要人に多くの死傷者が出たことだ。このショックで醍醐天皇は病に倒れ、皇太子寛明親王(ゆたあきらしんのう:後の朱雀天皇)に譲位したが1週間後に亡くなる。


この頃は都で洪水・大風・疱瘡などの自然災害や疾病も頻繁に起こっている。これら一連の凶事は道真の怨霊が起こしたものだと朝廷は考えた。そこで延喜23年(923)に道真を従二位大宰権帥から右大臣に復し、正二位を贈ったのを初めとして、正暦4年(993)には贈正一位左大臣、同年贈太政大臣とし、翌年「大天満自在天」という神格を授与して、もともと火雷天神が祭られていた京都の北野に、道真の祟りを鎮めるために北野天満宮を建立すると同時に、諸国に道真の御霊を祀るように命じた。こうして国衙が置かれた見付の鬼門の方角に所在する矢奈比売神社に天神の御霊が合祀された。(山)