今回からは祇園御霊会の賑わいを演出する山鉾がどのようにしてできたのかを見て行こう。
鎌倉時代末~室町時代初め(650年~700年前)頃の、祇園御霊会の出し物の主流は笠鉾(かさほこ)であり、「山鉾」と呼ばれる造り山はまだ登場していなかった。それは袋井市ではおなじみの、お盆の歳時記、「かさんぼこ」のルーツでもある。
9世紀後半に始まった祇園御霊会は、最初は多数の鉾を立てて神霊の依り代としていたものが、14世紀代になると見せ物としての笠鉾が加わる。笠鉾とは美麗な染織品で装った「風流傘(ふりゅうがさ)」と呼ばれる傘を神霊の依り代としたもので、音楽と舞踊、棒振、といった芸と一揃いになっているのが特徴で、「風流(ふりゅう)」と呼ばれる作り物や芸能のもっとも基本的な形とされる。
現在の京都祇園祭の綾笠鉾は2基で構成され、前方を行く1基目には御神体とする木彫りの金鶏が、後方に従う2基目には松の木と根元に御幣がそれぞれ頂きに飾られる。円形の傘の端には刺繍の施された傘垂がりが付けられ、担ぎ台には華麗な前懸・胴懸(懸装)が飾られている。こうした「風流傘」に造り物が加わった構造のものは「山笠」と呼ばれるようになる。ちなみに「山笠」の史料上の初出は応永27年(1420)である。
こののち祇園祭の「山笠」は依り代としての笠鉾の流れを受けながら、造り物(山車)の方に力が注がれ、大型化することにより「山」が成立してゆくのである。 (山)