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第81回 御霊信仰と袋井9 霊会のはじまり

 

過去2回にわたり、都で始まった御霊会を紹介してきた。袋井の山梨地区は、貞観5年(863)5月20日に京の神泉苑で始められた御霊会において祀られた、六所御霊の一つである橘逸勢(たちばなのはやなり)が亡くなった場所とされ、その頃から朝廷の指示で御霊会が行われたのではないかと、考えている。それが形を変え、系譜を引き継ぐのが山名天王社の祇園祭と、山梨に所在する河跡山用福寺で行われている橘逸勢供養祭だ。そこで、山梨祇園祭を紹介するための基礎知識として、京都祇園祭の成立と系譜について説明しておこう。


祇園祭の発祥は、京都神泉苑において貞観11年(869)に当時の律令制の国の数である66本の鉾を立て、各地の御霊を祀り始め、それが東山山麓に所在する、祇園社(明治以後に八坂神社と名を変える)の祭礼『祇園御霊会』として、疫病の流行した年のみ開催されていたが、円融天皇(970 年)の頃からは毎年6月14 日に行われるようになった。


応仁・文明の乱で都が焼け野原と化して中止されたが、明応9 年(1500)に町衆によって再興され、26 基の山と鉾が巡行したと伝えられる。現在の山鉾巡行は、前祭・後祭と言い、神輿渡御(とぎょ)と還御(かんぎょ)に合わせて2回に行う古式が復活し、計6基の鉾が登場する。鉾には屋根の上に長大な真木(しんぎ)が立てられ、これが鉾を立てた名残で、祭神の依り代となるので榊が付けられている。


頂上(鉾頭)には鉾飾りが乗せられ、その内容で長刀鉾・菊水鉾・鶏鉾・月鉾と名前が付いている。地上から鉾頭までは25メートルあり、屋根上から鉾頭までの真木の高さは17メートルに及ぶ長大なものである。(山)