トップページ > 図書館だより・出版物> 伝えたい袋井のあゆみ> 第80回 御霊信仰と袋井8 御霊会のはじまり 

第80回 御霊信仰と袋井8 御霊会のはじまり

 

前回は御霊を鎮めるための法会(ほうえ/仏教行事)が、天台宗を開いた最澄により、比叡山で弘仁4年(813)に行われ始め、朝廷も都に疫病が流行ったことをきっかけにして、その元凶が政変により命を奪われ、怨霊になった魂だと考え、平安京の神泉苑という龍神の棲む池を中心とした大庭園で、貞観5年(863)5月20日に6人の御霊を鎮める法会を行い、これが京都の洛中に現存する上御霊神社・下御霊神社に繋がることを紹介した。


神泉苑では貞観11年(869 年)に池の南端に66本(当時の律令制度の国の数)の鉾を立て各国の御霊を祀り、これが現在の京都祇園祭の始まりであると伝えている。


これに対し民衆による御霊信仰の古い形を伝える、「やすらい祭」(夜須礼(やすらい)」「鎮花祭」「やすらい花」ともいう)という行事が今も京都市の紫野や上賀茂など洛北の四地区に伝承され毎年4月に行われている。


桜の花が散る頃、疫神は花の精にあおられて、いたずらをして回り、疫病を引き起こすと考えた。そこで人々はたくさんの生花で飾られた大きな赤い花傘(はながさ)を作り、その廻りで「しゃぐま」と呼ばれる赤毛・黒毛の鬼たちが、笛や太鼓のお囃子(はやし)に合わせて、長い髪を振り乱しながら「やすらい花や」の掛け声とともに踊り、洛中の悪霊や御霊を花笠に集めて廻り、最後は厄神を祭ったことに始まる今宮神社に巡行して終わる。


おそらく御霊はそこに納められ、疫神として祀られるのであろう。悪神も手厚く祭られることにより、善神に変わるという発想だ。やすらい祭は鎮花祭(ちんかさい)という「はなしずめの祭り」の一種で、見物に訪れた人々は踊りの合間に競って花笠の中に入り厄を祓っていた。 (山)