トップページ > 図書館だより・出版物> 伝えたい袋井のあゆみ> 第79回 御霊信仰と袋井7 御霊会のはじまり 

第79回 御霊信仰と袋井7 御霊会のはじまり

 

祇園祭に代表される夏の御霊会シーズンが終わったので、再び原点に戻り御霊会のはじまりについて説明しよう。


これまで御霊に関する史料上の初出は、『日本三代実録』の貞観5年(863)5月20日の条で、平安京神泉苑において、我が国初の御霊会が催された事が記されている。


ところが近年の研究により、これを半世紀遡る弘仁4年(813)6月に御霊会の先駆となる法会が、天台宗を開いた最澄により比叡山において行われていることが明らかとなった。これは平安京の始まりとともに、国家行事として御霊会(信仰)が始まったことを示している。


当時は、政変により命を奪われ、怨霊となった魂が様々な災害を引き起こす元凶と考えており、大いに恐れられていた。そこで、これらを手厚く祀ることにより、仏法の守護神となることを期待した。背景には怨霊転じて護法善神となるという思想が存在している。


貞観5年5月に行われた御霊会では崇道天皇(早良親王/さわらしんのう)、伊予親王、藤原夫人(藤原吉子)、橘大夫(橘逸勢/たちばなのはやなり)、文大夫(文室宮田麻呂)、観察使(藤原仲成もしくは藤原広嗣)の魂を祀ったもので、六所御霊と呼ばれている。


この祭神を社殿で恒常的に祀ったのが上御霊神社・下御霊神社の二社である。両社ともに戦乱や焼失によって移転したが、上御霊神社は京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町に、下御霊神社は京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町に所在している。


下御霊神社は、現在は御所の東南隅に位置し、祭礼時には神輿が御所内に渡御し、公家衆の守護神となっていた。祭神のうち、三筆の一人として著名な橘逸勢は、市内山梨地区と深い関わりを持っているが、これについては、後に詳しく紹介することになる。 (山)