9月号の記事を、お盆の直前に書いていて、「御霊信仰は不慮の死を遂げた人々の魂を救済するための法会、一般の先祖供養は8月のお盆期間中に行われる。今回は、意外と知られていない『お盆』の語源を書こう」と、ふと、ひらめいた。
実は、お盆は仏教に基づくものではない。それは、字が示すとおり供物を乗せ、お供えする「(丸)盆」からきている。
以前、奈良市の春日大社で、春日神への神饌物に関する講義を受けたおり、数百年間使い込んでいる「お供え盆」を詳しく観察する機会があった。漆塗りの丸盆は供えるものによって、大中2種類の大きさがあり、表は朱漆、裏面は黒漆で塗られ高台の内側には螺鈿で花弁の模様があしらわれている。持ってみると意外と軽く持ちやすい。丸い形は太陽や鏡に通じ、円は天台教学では完全なものを顕すという。
神饌所で調理された神饌や供物はこのお盆に盛り付けられ、回廊を抜け、坂道を通って、楼門内の本殿に供えられる。この間、少し距離があるので、風が吹いてこぼれ落ちたり、バランスを崩して落とすことがあり、その場合は、「不備があるので神様が取り上げようとなさらなかったのだ」と言って、作り直すそうだ。
「お盆」とは先祖の魂をもてなすために、魂のよりしろ(近世後期以降は位牌)に対して、夏に収穫した麦で加工した素麺やうどんを供える収穫祭であり、そのお供え用の盆が、この風習の呼び名になったというわけだ。
お盆に行われる法会(ほうえ/仏事)を「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という。これはインドのサンスクリット語「ウラムバナ」の音写 盂蘭盆(うらぼん)からきたもの。ウラムバナとは手足を縛られ逆さまに吊された状態を表す。盂蘭盆会は地獄に墜ち、非常に苦痛な状態にある魂を救済する法会で、同じ盆の文字が用いられているが、供物を盛り付ける盆とは関わりがないものであった。 (山)