京都市街の中央部を東西に貫く四条通りの突き当たりには「祗園さん」の通称で知られる八坂神社がある。テレビドラマ等に西楼門と石段下の風景は良く画面に登場するので、観光時に立ち寄った人も多いのではないだろうか。
この八坂神社は明治元年(1868)に実施された神仏分離以前は、「感神院祇園社(かんしんいんぎおんしゃ)」という名の「宮寺(みやてら)」で天台宗比叡山の末寺であった。宮寺?この文字を初めて見た人も多いだろう。
明治新政府が誕生してすぐに、一大宗教改革が断行され、千年以上続いた神と仏を一体として祀る思想と形が崩壊した。それ以前には感神院のような、お宮と寺とが渾然一体となった宮寺が全国にはたくさんあり、祗園系・天神系の神社の多くが明治維新以前には宮寺だった。
祇園社は寺院の伽藍配置と同じ南北軸(下図直線)上に大門・中門・拝殿・本殿が並ぶ。所属する宗教者に神職はおらず、社僧(しゃそう)と呼ばれ、神に仕える僧侶集団だけが存在し、しかも妻帯して役職を世襲していた。
本殿には祭神の牛頭天王(ごずてんのう)を中心に后と八柱の王子神が祀られ、その横には牛頭天王が仏の姿で顕れた薬師如来像を祀る本地堂(ほんちどう)が並んでいた。現在の感覚で見ると、祇園社は実に不思議な空間であったわけだ。 (山)