今回から新たに、袋井に伝わる多様な御霊信仰(ごりょうしんこう)の様相を紹介する。「御霊信仰」と一口に言っても、何のこと?と思われるだろうから、まずは言葉の説明から入らせてもらう。
平安時代の初め頃(9世紀)のこと、政争に巻き込まれて非業の死をとげた者の霊は怨霊(おんりょう)となってさまよい、祟りをなすと信じ恐れられ、それを「御霊」と呼んだ。
浮遊する御霊を手厚くもてなし、祟りを封じ込めようとする仏教法会を「御霊会(ごりょうえ)」と言い、平安京の神泉苑(しんせんえん)という竜神を祀った苑地を会場に貞観5年(863)に朝廷の手で初めて行われた。法会だから執り行ったのは、真言・天台の密教僧である。
我が国古来の神々への信仰は自然崇拝から始まるので、農耕に欠かせない水源や形状の美しい山を崇めたり、雷などの自然現象を神として崇拝したりするもので、そこには、個人の霊を祀り、救済するという要素が欠落していた。それに応えたのが仏教であった。怨霊は社殿を建て、食事を施すことによって和み、鎮まり、やがては、崇敬する者を加護する御霊神となる。
貞観5年の御霊会は都で猛威を振るっていた疫病の原因とされる「霊座六前(れいざろくぜん)」と言われた6名の冤魂(えんこん/無実の罪で死んだ者の霊)を慰めるために行ったものだ。
その6名の中には、市内山梨にあったと考えられる、板築駅(いたつきえき)で亡くなった三筆の一人、橘逸勢(たちばなのはやなり)の御霊も含まれていた。これが山梨の祇園のルーツにつながる。
市内には各地に津島神社、牛頭天王(ごづてんのう)神社、八雲神社など祇園系の神社や祠が設けられ、三川地区ではお盆に朝長公御祭礼(ともながこうごさいれい)が執り行われるというように、多様な御霊信仰の姿を見ることができ、これらを都との繋がりに留意しながら順次紹介しよう。 (山)