現在の藤白神社境内入り口(北側)には「鈴木屋敷」と呼ばれる古い住宅建物と、屋敷の前には「曲水園」という、室町時代に造られたと考えられる日本庭園がある。
この藤白王子の鈴木家は、熊野信仰を広めた神官一族の藤白鈴木氏がかつて居住していた屋敷とされ、全国で二番目に多く200万人ほどいる「鈴木」姓の発祥の地といわれる。
特に藤白発祥の鈴木姓は太平洋沿岸に分布し、東海地方から東北地方に広がっている。つまり、黒潮を巧みに利用し、海を介して熊野信仰を広めたわけだ。明治の世となり、戸籍が作られ庶民が正式に姓を名乗ることができるようになると、熊野信仰の盛んな地域では藤白鈴木姓にあやかって鈴木姓に登録し、名乗るようになったのだという説明を聞いたことがある。
市内木原権現の神主家に伝わる『木原権現由来記』の巻末には、代々の神主の系図が記されていて、初代は、「鈴木宮内少輔穂積忠猶 紀州藤白鈴木三郎重家従弟藤白住」二代が「木工助忠重 紀州熊野ヨリ遠州木原郷来神主被補」とあり、こうした伝承を記録の上から裏付けることができる稀少な事例である。 (山)