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第70回 熊野信仰と袋井34 海の熊野と袋井

 

藤白王子は熊野世界で唯一、明治初期の神仏分離以前の信仰の姿と心を窺うことができる稀少な存在であり、熊野信仰を理解する上で避けて通れない霊場である。


本殿横には現在、王子権現本地堂(ほんちどう)と呼ばれる建物が軒を並べ建っている。熊野三山(熊野本宮・熊野新宮・那智山)の祭神には多様な神仏が存在するが、その特徴は神と仏が融合した権現(ごんげん)と呼ばれる神を祀ることにある。権現は山の神の化身で、顕れる時は神の姿の場合も仏の姿の場合もあり、変幻自在の存在だ。


本地とは仏教の立場からの言葉で、神本来の姿という意味を持ち、本地堂は権現の仏としての姿を祀る仏堂である。堂内には向かって左から那智山の祭神である夫須美大神(ふすみのおおかみ)の本地、千手観音座像・熊野本宮の祭神である家都御子大神(けつみこのおおかみ)の本地、阿弥陀如来座像・熊野新宮の祭神である速玉大神(はやたまのおおかみ)の本地である薬師如来座像という三神の本地仏と、ここ藤白王子の祭神、藤白若一王子(ふじしろにゃくいちおうじ)権現の本地である十一面観音立像が鎮座している。


この四軀(く)の仏はいずれも熊野御幸が盛んだった平安時代末12 世紀の木彫仏で、もとは藤白王子の神宮寺であった中道寺に祀られていたものだが、豊臣秀吉の紀州征伐時にゆかりの寺院に避難して難を逃れたのを、江戸時代に戻したもので、総てが揃うのはここが唯一の存在である。


以前の仏教色が殆ど失われていることを考えると、藤白王子に伝わる四軀の本地仏が持つ意味は大きい。木原権現はこの藤白王子権現を勧請して祀り始めたと考えており、かつての本殿内には同じ十一面観音立像が祀られていたのではないだろうか。(山)