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第69回 熊野信仰と袋井33 海の熊野と袋井

 

市内の木原権現は熊野神の若宮を永保2年(1082)に勧請したことを前回指摘した。その勧請元は藤白王子権現(和歌山県海南市藤白/現在は藤白神社という)であることがわかっている。藤白王子は熊野九十九王子(くまのつくもおうじ)の一つで、その中でも格別とされた五体王子に数えられる。


熊野九十九王子は熊野参詣道(熊野古道と呼ばれる) 沿道のいたるところに熊野権現の分身である王子神が配置されたもので、数多(あまた)あるということで九十九(つくも)と呼ばれる。これらは参詣者を守護すると共に、巡拝しながら熊野三山に近づいて行くという仕組みだ。


そのなかで藤白、切目、稲葉根、滝尻、近露の諸王子は主要拠点の王子社として五体王子と呼ばれた。道中の渡河点や海辺ではみそぎの場所が定められ、藤白王子に一ノ鳥居、滝尻王子~熊野本宮間には三百町の卒塔婆、発心門王子には大鳥居が立っていた。一ノ鳥居が設けられた藤白王子は熊野世界の入口というわけだ。


中世熊野御幸(ごこう)の盛期には特に格式の高い王子として崇拝され、熊野参詣に向かう上皇以下貴顕の一行が社頭に到着すると、歌会・里神楽・相撲などの奉納が行われるのが通例であった。この神社は藤白鈴木家が代々神職を務め、その家系が全国の鈴木性の発祥とされる。これについては改めて紹介しよう。 (山)