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第64回 熊野信仰と袋井28 海の熊野と袋井

 

今回は長命寺の境内を案内しよう。琵琶湖岸の長命寺港に着くと正面には広場がある。右手には穀屋聖(こうやひじり)の詰め所で勧進所であった穀屋寺、左手には日吉山王権現(ひえさんのうごんげん)の社殿が現存し、そこから山上に向かって一直線に石段の参詣道が延び、俗に「八百八段」と呼ばれ、登るには20~30分を要する。


参詣道の両側には土留めの石垣を積み上げた子院や宿坊の跡が延々と続き、元禄5年(1692)の記録では19の子院が存在したが、今では石段の途中左手に妙覚院・真静院、さらに上がると右手に禅林院・金乗院の4院が残るだけである。


参詣道を登り切ると冠木門(がんぎもん)があり、これをくぐると中心伽藍へと踏み込むことになる。ここまでは石垣と建物跡の平場が残るだけだが、様相は一変する。


左手に本坊、右手に手水所(ちょうずしょ)があり、ここで手を浄める。見上げると、ひときわ大きな朱塗りの入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)建物が聳えるのを目の当たりにする。この建物は少なくとも五百年来、無数の西国三十三観音札所の巡礼者が目指した本堂の観音堂(大永4年/1524)で、重要文化財に指定されている千手観音像・十一面観音像・聖観音像の三像を厨子内に祀り信仰の核心をなしてきた。


傍らには三重塔(慶長2年/1597)が配置され、これ以外にも護摩堂(慶長11年/1606)、三仏堂(永禄年間・16世紀半ば)、護法権現社(永禄8年/1565)鐘楼(慶長13年/1608・以上は重要文化財)と多くの歴史を刻んだ建物が集中する別世界が拡がり、ここからは琵琶湖の景観を楽しむこともできる。


このような多くの建物は穀屋寺を活動拠点とした聖たちの勧進活動によって再建や修理を重ね、現在に引き継がれてきたものだ。では彼らが活動した室町時代の長命寺の姿を追って見よう。 (山)