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第62回 熊野信仰と袋井26 海の熊野と袋井

 

那智一山を構成する要素の一つに妙法山がある。ここは那智山の山神を祀る奥の院に相当する場所で、59回に紹介した「那智参詣曼荼羅」の左上に描かれている。


現在は真言宗の那智山阿弥陀寺という独立した寺院だが、江戸時代には那智山の末寺で『紀伊続風土記』(1839年)によると、十方浄土堂・弘法大師堂・骨堂・阿弥陀堂・客殿・庫裏・長屋・勧化所・鎮守社・鳥居の各施設が存在したことがわかる。


妙法山上からは視界一面に太平洋が広がり、補陀洛の浄土を実感することができ、海の信仰が山と連動することが良くわかる場所でもある。


妙法山には勧化所が設けられ、堂舎の修理や復興を請け負い、諸国を勧進して歩く聖たちの詰め所であると同時に、骨堂が設けられ、納骨と死者供養を行う空間でもあった。死者の魂はシキミの葉を手にして妙法山へ参詣し、一つ鐘を撞くという伝承があることから、熊野参詣に訪れた人々は先祖供養のため妙法山に参拝し、山頂十方浄土堂の本尊に手を合わせる。この像は釈迦如来とされるが、よく見ると顔は仏なのだが白木の荒彫りの立像で手先を出さず衣で覆っている。これは御神木を彫りつけた、神像特有の表現で、妙法山の山神と仏とが融合した特有の姿だと考えられる。


これまで、市内に所在する木原の那智山長命寺のルーツを求めて、神仏分離によって変貌する以前の那智山一山の内容を順を追って見てきたが、どこにも長命寺に繋がる痕跡を見いだすことはできなかった。では、ルーツはどこにあるのだろうか。「長命寺」という名前をたよりに、原点に戻って考え直した方が良いようだ。(山)