トップページ > 図書館だより・出版物> 伝えたい袋井のあゆみ> 第56回 熊野信仰と袋井20 海の熊野と袋井 

第56回 熊野信仰と袋井20 海の熊野と袋井

 

諸井に所在する心宗院は戦国時代の終わりに、武士(駿河伊達氏・諸井氏という説がある)の館(やかた)であったものを、心宗庵という庵(いおり)に改め、江戸時代初期に可睡斎末の曹洞宗寺院にしたとされている。


境内内外の発掘調査により、寺院の廻りを取り囲んでいる土塁は、鎌倉時代(13世紀)に成立した館の廻りに巡らされたものを基礎にして、補修や改修を経て今も残っていることが判明した。


ところが、その下層からは平安時代後期の役所で使われるような方形木組みで底一面に礫を敷き詰めた井戸や立派な建物跡数棟が見つかり、渥美産の瓦塔(がとう)というミニチュアの塔の破片も出土した。瓦塔は非常に珍しく、県内からは数点しか見つかっていない。これは一般に仏堂の中に祀られた礼拝用で、中には舎利(しゃり)容器を納めたり、ミニ礼拝仏を祀るたりすることがあったようだ。すると、ここには当時、寺社という宗教施設が存在したことになる。


そこで浮かんでくるのが、この場所の位置だ。諸井は平安時代後期には山名荘(やまなのしょう)という、遠江で最初に置かれた熊野山領の南端に所在した諸井郷にあたり、目の前は大字(おおあざ)浅羽で、摂関家領の浅羽荘が拡がり、両荘園の境目にあたっている。すると、山名荘の境の鎮守となる熊野権現が置かれても不思議ではない。そんな推測を巡らしていたが、これを裏付ける資料が調査では出土することはなかった。(山)