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第54回 熊野信仰と袋井18 海の熊野と袋井

 

長溝地区の鎮守を読者の方はご存じだろうか?この問いかけに地区の方は「桑原神社」と答える。しかし、戦前は「郷社八幡宮(ごうしゃはちまんぐう)」として登録されていた。


「八幡神は桑原神と同じなの?」答えは全く別の神社で長溝村の開発史に関係するようだ。現在の原野谷川流路にあった旧村は、410年前の川筋付け替え工事に伴って東側に移転し、現在の長溝地区を形成する。このとき北信濃の大町辺りから移住してきた氏神に若宮八幡宮を祀る仁科一門、それと、信州伊那谷から移住してきた氏神に産土神(うぶすなかみ)の桑原大明神を祀る桑原一門の両者が協力して現在の長溝地区を開拓し、新たに「長溝村」を築いた。このため、村の鎮守は若宮八幡宮と桑原神社の二社からなっていたわけだ。


浅羽町史編纂に伴う資料調査で本殿内から承応二年(1653)から明治十四年(1881)までの7枚の棟札を確認し、その記載内容の変化から最初は2棟の社殿が別々に建っていたが、これでは建替にお金がかかるので、明和二年(1765)に現在のように統合して一つの本殿内に2社が同居する形となり、現在に至ったことが明らかとなった。


本殿裏の境内社(けいだいしゃ)には長溝十二所から移された(熊野)十二所権現、稲荷大明神、天縛(白)神宮の三社がひっそりと祀られている。この中で長溝地区のルーツに関わるのは熊野十二所権現であるが、それを伝える語り手や子孫は、今は一人もいない。(山)