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第52回 熊野信仰と袋井16 海の熊野と袋井

 

現在「明之宮神社」と呼んでいる西ヶ崎村の鎮守は、かつて熊野三所権現社であり、同じ境内には牛頭天王社)祇園)と明之宮稲荷の祠が摂社として存在していたことが、浅羽町史編纂時の資料調査によって判明した。神社名が明之宮神社に変わったのは、本来脇役の明之宮稲荷が主役になったということで、こうした事例は意外と多い。有名なのが「豊川稲荷」だ。円福山豊川閣妙厳寺(えんぷくざん とよかわかく みょうごんじ)という曹洞宗の寺院で、その鎮守の稲荷社の方が有名となり、寺名は知らなくても、「豊川稲荷」で通ってしまっている。


西ヶ崎熊野三所権現には御神体にあたる本地仏)ほんじぶつ)が残されており、「廃仏毀釈を逃れてよく残ってくれていたなあ」という驚きが調査時の実感として残っている。三軀のうち主尊が中央の阿弥陀如来像で熊野本宮の祭神、向かって右側が薬師如来像で熊野新宮の祭神、左側が十一面観音像で那智の祭神を顕している。


ところが、この組み合わせには違和感がある。通常、那智山は千手観音で顕されるが、西ヶ崎では十一面観音で読み替えている。このシリーズを続けて読んでいる読者はおわかりだろうが、十一面観音は鳥羽野村鎮守の王子権現社の本地仏であり、中野白山社懸仏の観音の図像として用いられ、伊勢と熊野の神は同体であると主張する熊野若宮(伊勢神)の本地仏でもある。


太田川流域には伊勢神宮の御厨領が存在し伊勢信仰が広がる。原野谷川流域の熊野信仰と融合し、那智の観音を伊勢若宮の本地十一面観音として読み替えたのだろう。西ヶ崎の観音像は伊勢神でもあったわけだ。(山)