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第50回 熊野信仰と袋井14 海の熊野と袋井

 

中野白山社の熊野権現


中野白山社に祀られる寛正三(1462)年の懸仏(かけぼとけ)裏面に記された墨書内容のうち、検討が必要な2点の一点目が苫野(とまの)中村に所在する天用寺の住僧 寛 谿叟(かん けいそう)についてだ。これは中国式の僧名で禅僧である。禅僧が熊野本宮・新宮に参籠し、湯立て神事を行い、熊野の山神が仏の姿で顕れた観音の姿をはめ込んだ懸仏を迎えて祀るという宗教行為には違和感がある。なぜなら、この行いは真言・天台の密教僧のものであるからだ。


二点目は、なぜ観音菩薩なのかだ。熊野三山の神が仏の姿で顕れると、本宮は阿弥陀、新宮は薬師、那智は千手観音として出現する。谿叟が参籠したのは本宮と新宮なので、本来なら阿弥陀か薬師のはず。しかし、山の神の本地として実際に迎えたのは観音。しかも頭に化仏をたくさん載せた十一面観音像のようだ。


熊野三神は平安時代後期に子供神や一門の神を含めて12神で祀られ、「熊野十二所権現」と呼ばれるようになる。このうち若宮は特別扱いで熊野三神と同格に祀られる。その実態は天照大神の化身で女神姿、仏として顕れるときは十一面観音の姿になるとし、この思想の背景には、熊野と伊勢が同体であるという熊野側の主張がある。


谿叟が苫野中野の地に迎えた観音とは、アマテラスでもある観音だったと考えられる。すると、富里王子社の室町時代の本地仏が十一面観音座像なのと共通する。伊勢神宮の御厨領(みくりりょう)が所在する太田川河口流域にはアマテラスの信仰が広がり、熊野と融合していたようだ。(山)