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第48回 熊野信仰と袋井12 海の熊野と袋井

 

中野白山社の熊野権現


富里王子社に関連して紹介しておかなければならないのが南に隣接する中野村だ。行政区域では磐田市となっているが第47回で紹介したように、現在、富里地区と呼ばれる鳥羽野村や南の豊浜地区は17世紀初頭の旧原野谷川・旧太田川の合流工事が行われた後に成立した新しい土地で、神社の場所も新しい村の造営にあたり現在の場所に設けられたものだ。それ以前の村は、現集落よりさらに東側に存在し、今は島畑や田んぼになっている。しかも、当時は「苫野中野(郷)」という一まとまりの土地だった。


苫野中野郷(とまのなかのごう)には、西光寺(さいこうじ)という熊野権現を祀る中世の寺院が存在し、その系譜は現在、「中野白山神社」として名を変え、形を変えながらも続いている。実は、東海地方では15世紀に美濃(美濃馬場と言い、現在の岐阜県郡上市白鳥町)白山長滝寺を拠点とする白山信仰が急速に広がり、かつての熊野先達(くまのせんだつ)と呼ばれた熊野系の山伏が、利益が上がるので白山先達をも兼ねて教線を拡大したことから、熊野・白山信仰が重なって残る寺社が意外と多く、中野がその良い事例だ。


130年ぶりに本殿の扉前に鎌倉時代の釈迦十六善神像を掲げて、熊野権現の祭祀状態を復元してもらった。西光寺は熊野本宮の祭神である阿弥陀信仰を中心としたもので、神前に仏の図像を掲げ、大般若経を大声で読み上げる神事が盛んに行われていたわけだ。(山)