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第46回 熊野信仰と袋井10 海の熊野と袋井

 

富里(鳥羽野村)の王子社


富里王子社には、室町時代の獅子頭が伝えられている。ところが、この獅子頭は獅子舞で使われるものと違って、内部が空洞ではなく、舞い手が被ることができない構造となっている。


実は、獅子頭には2種類ある。一般的なのが、内部が刳り抜かれて被るもので、これは獅子舞を舞うための頭だ。これに対し、富里王子社のように刳り抜かれず、獅子の頭の形を彫り出しただけのものがあり、これは祭壇に祀られる。つまり、この頭は祭祀時に祭神である熊野若一王子権現(くまのにゃくいちおうじごんげん)の神霊を迎える依り代(よりしろ)なのである。


「祈り」という言葉は意志のイ、つまり、「イリキ(意力)」を乗せて神に届けるという言霊(ことだま)から始まる。こうした神事を見ると、神を迎えてもてなす、マツリの原型を実感することができる。


熊野信仰発祥の地、紀伊半島ではこうした神事は消えてしまったが、沿岸部には獅子頭が流れ着き、それを祀って神社が始まったなどという縁起を持つ社があり、獅子頭を御神体同様に扱っている。富里王子社の獅子頭は、このような熊野信仰の伝播を示す大切な証なのだ。(山)