富里(鳥羽野村)の王子社
富里王子社本殿内には、「宮殿(くうでん)」と呼ばれる、仏さまを納める厨子(ずし)が残されている。「宮殿」という字だけを見ると、普通は「きゅうでん」と読んでしまう。しかし、あえて「くうでん」と読ませて、高貴な方の住まいである実際の宮殿とは区別している。厨子と宮殿との違いは、厨子が単純な箱形であるのに対し、宮殿は社寺建築に準じて制作されたもので、屋根に瓦の表現を施し、軒下には垂木や組み物という細部の意匠まで表現した、かなりリアルなものまで造られた。
王子社の宮殿は高さ113.5センチメートルの小ぶりのもので、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で曲線の美しい唐破風(からはふ)となり、壁は白木で観音開きの扉には、鍵金具が描かれた神社建築の意匠で作られており、仏の姿をした王子神が祀られるには、ふさわしい宮殿である。こうした宮殿が本殿内中央に祀られているということは、王子社の御神体が本地仏(ほんじぶつ)という仏の姿であったことを物語っている。
扉を開けると、中には何も祀られていなかった。43、44回で紹介した室町時代の十一面観音坐像がここに祀られていたからだ。実は、明治元年の神仏分離令が実行され、宮殿から追い出され、堀に投げ入れられたが、信仰心篤い住民が、村内の松秀寺に密かに納めたという話しが伝わっている。
仏様の表面は金色に光り輝いているので、金箔が押され、着衣も彩色が施される。これに対し、この像は彩色が認められるのは髪の毛と眉毛、目、唇だけで、最初から白木のままの姿になるよう意識して造られている。底を見ると、身体の中心に木材の芯が来るように木取りされ、荒い鉈の削り痕をそのままにした仕上げで、御神木を使って彫られたものと考えられる。
平成17年に資料館で行った特別展「遠州の熊野信仰展」では、宮殿と十一面観音像を組み合わせて展示させてもらった。138年ぶりにお住まいに戻られた観音さまが喜んでおられるように感じ、それが今も忘れられない。(山)