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第43回 熊野信仰と袋井7 海の熊野と袋井

 

富里(鳥羽野村)の王子社


そろそろ地元の話しに取りかかろう。遠州灘に注ぎ込む河川の一つに原野谷川があり、その流域には海の熊野とつながる王子神と寄り来る神が随所に祀られ、痕跡が今も残っている。その一つに西浅羽地区の富里(とみさと)がある。


富里は明治以降の新しい地名で、江戸時代の村組織では鳥羽野(とばの)村と名乗っていた。それ以前は、南の中野村(磐田市中野)とひとくくりの土地で、室町時代には「苫野中野郷(とまのなかのごう)」という地名であった。


この郷の鎮守様に王子権現がある。神仏が一つになっていた時代なので、祭神は熊野若一王子権現(くまのにゃくいちおうじごんげん)という尊称で、そのお姿は、白木の十一面観音坐像という仏様である。そもそも権現という考え方は、見えないものが仮に姿を顕わした状態を表現する「化身」という言葉から始まり、権化(ごんげ)という言葉に通じる。それが10世紀初めに比叡山の天台僧により「権現」という概念に統一されてできた。山や自然に宿る精霊が形を顕わしたもので、熊野の山・海の化身が熊野三所(さんしょ)権現というわけだ。


富里の王子社には、明治元(1868)年まで室町時代に製作された仏像が祭神の若一王子権現として祀られていた。熊野神の子供神(若宮ともいう)で、若一とは、長男と理解すればよい。由来は次回に示そう。(山)