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第37回 熊野信仰と袋井1 海の熊野と袋井

 

静岡県のなかで、最も熊野系の寺社が集中しているのが袋井市域であることはほとんど知られていない。それは、市域を太田川・原野谷川の両河川が蛇行して流れ、しかも合流せず、河口は現在と違って直接遠州灘へはつながらず、横須賀との堺、0メートル地帯に溜まって潟湖(ラグーン)を形成し、これを利用した船運の要衝として重要視されたからで、遠江国衙や伊勢・熊野山領へ税物が運ばれる海の幹線道路であったからだ。


こうした背景から、遠江国最古の熊野山領として山名荘(やまなのしょう)が平安末の12世紀には成立し、荘園内や太田川・原野谷川の流域に多くの熊野系寺社が設けられ、天台・真言の密教僧をはじめ、紀伊国からは神職や修験者・聖などが移り住んだ。


下熊野というと青岸渡寺のある那智滝や熊野川の中洲に祀られた熊野本宮、熊野川河口の新宮と火祭で有名な、ゴトビキ岩の「熊野三山」、つまり「山の熊野」をイメージするが、その根源には、古来、海の彼方の常世と呼ばれたカミの世界から寄り来る、福をもたらすと信じられた漂着神・漂着仏への信仰があり、今も浦々や岬(御先・ミサキ)先端には祠を持たない社(やしろ)が無数に存在している。


浅羽の西同笠・大野・中新田には寄木神社という、この海の熊野神を祀った神社が存在する。その原型の一つがリアス式海岸の続く須野湾にある寄木神社だ。縁起によると「神様が丸太に寄りかかって須野湾に流れ着いた」とし、流木を御神体として祀る「寄木神」の最も原初的な祭祀形態を留める杜が今も守り継がれている。(山)