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第32回 白山信仰と袋井20 袋井・浅羽からの白山巡礼9

 

じつは、白山へ至る険しい山脈の主稜線を縫って通じる美濃禅定道 水飲宿(みずのみしゅく)の本尊、銅製釈迦誕生仏を製作した鋳物師の常昧(じょうまい)が製作した大作が、袋井市内に現存する。それは山梨の西楽寺に祀られた銅製不動明王像(袋井市指定文化財)で、像高129センチメートル、台座を含めると14センチメートルにおよぶ大作で、台座側面には「七月吉祥日願主宥喜謹言 京堀川筑後大掾常昧作」「奉鋳立不動尊像一吃躰奉讀法華経三千部供養寶永七庚寅」と刻まれ、宝永七年(1710)七月に僧宥喜が願主となって製作されたことがわかる。


この常昧(じょうまい)は鉦(かね・たたきがね)といった小物の金工品を得意とする鋳物師で、筑後大掾(ちくごだいじょう)という職名を名のるほどの職人の棟梁で、京都堀川七条通りに工房を構えていた(京都駅北口付近)。だから仏師ではない。そもそも、彼が製作した仏像というのは特異な存在だ。しかも、水飲宿の釈迦誕生仏は像高45センチメートルという小物。これと光背まで含めると2メートル近い西楽寺の大作では、鋳造技術は比較にならないほど、高度なものが要求される。


この不動明王像は鋳造仏であるにもかかわらず、ホゾとホゾ穴を設けた寄木造(よせぎづくり)の構造が採用され、それがあだとなって、つなぎ目が後世に折れたり、重みに耐えきれず台座が陥没していた。木彫の仏師に仏像製作の基本技術を教示してもらったのだろう。


仏師ではない常昧がなぜ、無謀にも西楽寺の不動明王像のような大作を製作することになったのだろうか? それは謎だが、遠江、特に白山信仰が盛んで多くの参詣者を輩出した袋井の信仰がとりもった人脈が背景に存在するのなら、想像が大きく膨らむ。(山)