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第25回 白山信仰と袋井13 袋井・浅羽からの白山巡礼2

 

白山先達に導かれながら、長い道のりを美濃馬場(みのばんば)長滝寺に到着した遠州からの参詣者は、大門で長滝寺側に引き継がれる。この大門が目的地の白山に参詣するための登拝道である美濃禅定道(みのぜんじょうどう)の起点となっており、通行しないわけにはいかないのだ。


日本にヨーロッパの近代登山が導入されるまでは登山という風習は無かった。山は神仏がおわします聖なる場所。だからそこにあがるのは、神仏に出逢うために拝みに行くのが目的。何日もかけて、大変な思いをしてたどり着けば、それだけ感動も大きく、御利益があるという考えだ。だから登山ではなく登拝という言葉を使い、途中の行程は修行なので、山岳修行を指す「禅定」を使う。


参詣者は大門で関銭を払い、二通りある通行の経路を選択する。一般者が往来する禅定道を選んだ者は「表指し(おもてさし)」、山伏が通る尾根筋の厳しい修行路を通って途中で禅定道に合流する道を選んだ者は「裏指し(うらさし)」と帳簿に記入される。美濃馬場の宿坊に泊る者もいるが、ここから白山までの先達(案内人)は奥の石徹白(いとしろ)村から社人(しゃじん)と呼ばれる人が迎えに来ており、白山先達と交代をする。


延宝8(1680)年の記録では尾張・三河の白山参詣者は130人、三禅定(白山・立山・冨士)の巡礼者は80余人、遠江から三禅定の巡礼者150余人が短い夏の期間に大門を通過した。(山)