神社の由来や歴史を知るのは、意外と困難な作業なのです。
それは、明治初めの神仏分離政策と、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という、仏教排除の運動が全国的におこなわれたからで、明治初めに寺院が神社になったり、神社内の仏教施設(堂・塔)をはじめ、仏像・仏具・経典の破壊、焼却がおこなわれ、神社に生活していた社僧と呼ばれる僧侶たちも、追い出され、祭神を変更することや、新たな歴史や由来が作られることが一般的だったからです。
王御前神社には、江戸時代の棟札(むなふだ)が4枚残されていました。棟札とは建物を新築したり、修理したときに、その記録として納めた木札のことで、その時の生の、情報を得ることができます。その棟札中最古のものが元禄13年(1700)に本殿を新築したときのもので、そこに「赤尾山 長楽寺」と記されています。これは、赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこおりべじんじゃ)の前身、長楽寺のことなのです。(山)