今回から数回にわたり、旧浅羽町の松原地区に所在する、王御前神社と白山信仰とのかかわりについて紹介しましょう。
江戸時代後期の松原村は、通称「浅羽三十三ヶ村」と言われた村々のなかでは最も規模が大きく、戸数は150戸、米の生産高は1229石あり、横須賀藩領でした。
村は東組・西組にわかれ、村内には「七寺八門」といわれる七ヶ所の寺と堂(岡崎竜巣院末寺の松原庵・法恩庵・養正寺・見徳寺・普泉寺・東正寺、これと阿弥陀堂)、八軒もの門構えを持つ格式の高い屋敷があり、非常に豊かな村でした。
この松原村の鎮守様が、王(大)御前神社です。幕末に横須賀藩校の教授を務めた、八木義穂がまとめた『郷里雑記(ごうりざっき)』には「大御前の神、今は王御前とも書いている。同社には津島神・子安も祀られている―大御前とは梅山八幡神社の母神という―(現代語訳に改める)」と書いています。
この記載は実に重要で、神社の名前は、今は王御前とも書くが、本来は「大御前」だよと、いっているわけです。地元では王御前神は八幡神の母神と伝えているわけですが、八幡神の系統には王御前神という名称は存在しません。ところが、「大御前神」ならば、白山大御前神が有名です。八幡の母神ではないの? じっくり、この謎を解いてゆきましょう。(山)