トップページ > 図書館だより・出版物> 伝えたい袋井のあゆみ> 第15回 白山信仰と袋井3 法多山田遊びのルーツ 

第15回 白山信仰と袋井3 法多山田遊びのルーツ

 

美濃馬場 長瀧寺では、明治になるまで山内の僧侶・修験者・神職が拝殿内に会して、新年を迎える延年(えんねん)という行事をおこなっていました。


古代より続く密教寺院では正月行事を修正会(しゅしょうえ)と呼び、そのなかの延年には芸能が伴い、きらびやかなものでした。さまざまな神事と、芸能が繰り広げられ、新たな歳神を丁重に迎えていたわけですが、明治初期の神仏分離政策によって、多くが衰退し、今では平泉毛越寺と白山長滝神社(元の長瀧寺)とが中世の形をどうにか留めているとして、国指定重要無形民俗文化財に指定され継承されています。


延年の最終は1月10日で、神前に釈迦如来の仏画を掲げ、その前で「大般若経」という国家鎮護の威力持つ経巻600巻が多くの僧侶により転読されます。


これに先だつ6日に白山長滝神社では延年である六日祭があり、その演目に法多山田遊びの原型となる「しろすり」などがおこなわれます。


翌7日が法多山田遊び、最終日の10日が、磐田市中野(旧福田町)の十日祭と、全て美濃白山長瀧寺に関連した神事です。(山)