第13回 白山信仰と袋井1

 

徳川の時代が終わり、明治維新を迎えると同時に、宗教界に激震が襲いかかりました。一般に「神仏分離令」と呼ばれる政府の命令によって、全国の神社から仏教色の排除が急速に進められ、神社名・祭神の変更、仏像・仏具の撤去(焼却が多かった)、境内に建つ塔や仏堂という仏教建物の取り壊しが全国でおこなわれ、多くの文化遺産と、これに携わり生活していた人々の暮らしが無くなりました。


その一つに、白山信仰があります。みなさんは白山というと「加賀の白山だね」と、頭に思い浮かぶのではないでしょうか。しかし立山連峰と並ぶ北陸の雄、白山連峰は加賀(石川県)・飛騨・美濃(岐阜県)・越前(福井県)の三県にまたがり、そのうち、東海地方と直接関わるのは、「美濃の白山」です。


明治になるまで、東海地方から向かった場合の白山連峰への登拝拠点に「美濃馬場(みのばんば)」と呼ばれた、長瀧寺(ながたきでら)を中心とする宗教都市がありました。現在は岐阜県郡上市白鳥町長滝という地名の場所です。


法多山の田遊びは長瀧寺の田遊びを原型とし、法多山・油山寺の鎮守として今も境内に祀られる白山神社、それに浅羽地区松原の王御前神社などもこの長瀧寺の系統で密接な関わりを持っていました。(山)