残念ながら袋井市内には二ヶ所、計4基造られた江戸時代の一里塚は役割を終えて削り取られ、一つも残っていません。
しかし江戸日本橋から数えて61番目の木原一里塚が旧東海道の南側で、もとあったところから西に60メートルの場所に、昔の姿と規模にもとづいて平成11年に復元されました。
60番目の一里塚である久津部一里塚は、北側が住宅地となりましたが、南側は袋井東小学校の敷地として、具体的な場所が伝わっていました。
その場所には昭和47 年に東小学校の創立100周年を記念して一里塚碑が建てられ、平成4年には「久津部一里塚」の説明版が掲げられ、平成12年8月には、翌年に東海道宿駅制度ができて400周年をむかえることから、「東海道の歴史的遺産を生かしたまちづくり」の一つとして、一里塚が復元されました。
実際の一里塚の規模は高さ約2.6メートル、直径約9メートルもある大きなものですが、とてもかわいらしい一里塚が、明治10年(1877)に刈られるまで立っていた松の木を植えて復元されました。 (山)