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第10回 一里塚3 久津部一里塚

 

袋井市内には、木原一里塚の他にもう一ヶ所、久津部の一里塚がありました。


『東海道宿村大概帳(とうかいどうしゅくそんだいがいちょう)』という江戸時代の記録には、「(掛川)宿より袋井宿迄之間壱里塚弐ヶ所 壱ヶ所 但左之塚 下貫名村地内 右之塚 久津部村地内 木立松」と記されています。


久津部一里塚は東海道を日本橋から数えて60里目の一里塚といわれます。描かれた資料には、『東海道分間延絵図』があり、その部分が下の写真です(テキスト版は写真なし。お手数ですがpdf版をご覧ください)。


東海道をはさんで上に描かれた北側の塚は久津部村の地内に、下に描かれた南側の塚は下貫名村の地内となっていました。


よく見ると久津部村側の一里塚の前には、高札が描かれています。高札とは法令や禁令などを板札に墨書して掲示したもので、村役人が責任をもって厳重に管理し、矢来(柵)がめぐらされ土盛りがなされていました。絵をよく見ると、確かに屋根と囲いが描かれていますね。(山)