第8回 一里塚1

 

今回からしばらくのあいだ、一里塚を見て行きましょう。


一里塚というのは、一里(約4キロメートル)ごとに造られた距離の目印で、土を盛り上げ、その上に榎(えのき)や松を植えた塚のことです。


はじまりは、中国にならい、奈良時代(8世紀)に造られたといいますが、くわしくはわかりません。その後、織田信長や豊臣秀吉は自分が支配する土地の街道に一里塚を造り、これを引き継ぐ形で、江戸に幕府を開いた徳川家康が全国の街道に一里塚を造らせました。


東海道の整備は1601年(慶長6)に始まり、江戸日本橋を起点に一里ごとに一里塚が造られました。

旅人は一里塚を距離の目印として歩き、くたびれると木陰で休んだり、馬や駕籠に乗ったときは、代金支払いの目安にしたといいます。


その規模は、記録によると直径が五間(約9メートル)、高さが一間半(約2.6メートル)と、かなり大きなもので、街道をはさんで左右両側に向かい合って造られました。


袋井市内には東海道60番目の久津部一里塚と、61番目の木原一里塚の二ヶ所、計4基がありました。(山)

 

参考文献

  • 『東海道分間延絵図』 (R291 ト 10)

※袋井市の歴史を調査研究の場合は袋井・浅羽図書館の郷土資料コーナーをご利用下さい。