残念なことに袋井宿には、三ヶ所あった本陣の建物は残っていません。しかし、東本陣が建っていた場所の一部は、東本陣公園として旧東海道に面した約334平方メートルが整備され見ることができます。
東本陣の跡地については、平成3年と4年にそれぞれ一週間ずつ発掘調査が行われ、平成4年の調査では最後の時期に相当する建物の礎石、それを方形に取り囲む雨落ち溝が見つかり、さらに三次期にわたる焼土と炭化物が混じる土層があることも確認されました。
このうち、二番目の焼土の層の下からは地震で発生した液状化現象の痕跡である「噴砂(ふんさ)」が観察され、しかも、それは二番目の焼土の下で止まっていました。これは、地震によって火災が発生した証拠で、同じ土層に含まれている陶器などの年代から1854年の安政大地震に伴うものとみられています。
三次期にわたる焼土の存在から、18世紀後半~19世紀前半だけでも20~30年に一度の周期で袋井宿が大規模な火災に遭っていたことがわかります。(山)