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第2回 袋井宿2 どんな景観?

 

見附宿・掛川宿の開設に遅れること15 年、1616(元和二)年にようやく開設された袋井宿が、当初はどんな景観をしていたかは、残念ながらわかりません。


袋井宿の内容を記した記録や絵図、絵画は、いずれも江戸時代の終わりの、1800 年代のものだからです。過去の資料はよほど、意識をしないと、残りません。


じっさいに歴史が伝わるには、多くの困難が伴い、袋井宿も例外ではありません。


1843(天保十四)年の調査をまとめた『東海道宿村大概帳』には宿内の町並みが東西5町15 間(約570m)、総家数は195 軒で、その内には本陣3軒、旅籠屋50軒が含まれ、人口は男379 人、女464 人、合わせて843 人というものです。


これは、県内に所在する22宿と比較すると小規模ですが、その特徴は、全軒数の3割近く(見附宿は5%、掛川宿は3%)までが宿泊施設であり、旅客の宿継・休泊業務によって支えられた宿ということがいえます。


しかし、宿の最大の任務は何と言っても、人馬提供による荷物などの継ぎ送り業務でした。これを実際に行う場所が人馬継問屋場で、本町に一ヶ所存在し、宿役人たちが交代で詰めていました。(山)

 

参考文献

  • 『東海道と袋井宿 -どまん中袋井宿の今昔-』 (S234 ト)