第10回 「笠原村 開拓」

 

小笠山開拓団の痕跡


何かネタはないかと、昭和33年12月28日に発行された『国土地理院2万5千分の1地形図[袋井]』を見ていると、笠原村のうち三沢川に沿った三沢集落の奥に奥三沢の集落があり、さらに遡った谷の一番奥、標高80mの付近に「開拓」という地名が記されていることに気付きました。細かく見ると、なだらかな谷は切り拓かれ、七棟分の建物が標示されています。いったいどのような経緯をたどった地域なのでしょうか。


終戦直後の混乱のなか、食料増産は国の最重要施策とされ、県下では旧軍用地、国有林、その他国有地、民有地において開墾可能地として64団地が選定されました。現在の袋井市域では旧小笠山御料林の一部を開拓地に設定し、昭和21年に入植者の公募と指導がはじめられました。


応募者は小笠郡下の大東町、小笠町、大須賀町他各町村出身の二、三男や縁故引揚者が中心で、51戸が旧笠原村山崎の本谷を拠点にして、近江ヶ谷、菩提地先を中心に分散し、昭和22年3月に本谷において鍬入れ式が行われ、本格的な開墾が始まりました。


当初の住居は丸木の掘立小屋で、壁は板壁、屋根は杉皮葺きにランプの生活という厳しいもので、生活用水も山の湧き水に頼る状態でした。何戸かは厳しい入植生活に耐えきれず、脱落しました。その後昭和24年になってようやく本谷地域に待望の電灯が敷設されています。


昭和31年9月に笠原村と袋井町の合併が行われたとき、本拠の本谷地区は大須賀町へ、近江谷地区は袋井へと分村合併することになりました。(Y)

 

参考文献

  • 『国土地理院発行 1:25000 地形図「袋井」』(S291.0 フ)
  • 『ふるさと袋井 第9集』(S234 フ 9)

※袋井市の歴史を調査研究の場合は、袋井・浅羽図書館の郷土資料コーナーをご利用下さい。