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第9回 小笠山の西からとった「笠西村」(後編)

 

笠西村の繁栄と袋井町との合併


明治22年(1889)、市町村制が公布され笠西村が誕生した同じ年の4月16日に、東海道鉄道の静岡浜松間が開通し、袋井駅が開業します。この開業によって、「まち」の中心は、それまでの宿場町から駅前に移りました。


駅ができると、近隣の村々に旅客や貨物を運搬する道路を造る必要が生じ、特に、駅から静橋(当時は木造の有料橋として維持していた)に至る広い道を造ることが緊急課題となり、幅五間(約9メートル)の西通りの建設が決まり、その費用を笠西村・袋井町で半分ずつ負担しました。


駅前の西通り、東通りが開通すると、近隣の村々から人々が集まり、急速に商店街が形成されます。ワシズ屋・山梨屋・木原屋・甲州屋といった、出身地を屋号にした店が多かったことから、その辺の事情を伺うことができます。


駅前の新興地の発展によって、合併前の笠西村は人口5,386人、戸数1,048戸と大幅に増加します。これに比べて袋井町は人口3,186人、戸数627戸と、人口では笠西村がかなり多く、活気がありました。


昭和にはいると国の方針に基づく合併が進められます。しかし、袋井町には東海道五十三次の宿場としての長い歴史に対するプライドがあり、笠西村には袋井駅を持っているという誇りがあり、協議は困難を極めましたが、紆余曲折を経ながらも、昭和3年12月15日に笠西村と袋井町の合併が行われました。


合併の「協約」によると「合併後の名称は袋井町とし、役場の位置は笠西村役場とする。」となっています。一方は名をとり、一方は実をとるという、ギリギリの妥協点を見いだしての合併が行われたようです。こうして、笠西村の名が地図の上から消えてゆきました。(Y)

 

参考文献

  • 『ふるさと袋井南 第一集』(S234 フ)
  • 『東海道と袋井宿』(215.4 ト)

※袋井市の歴史を調査研究の場合は、袋井・浅羽図書館の郷土資料コーナーをご利用下さい。