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第4回 荘園の名前にちなむ「笠原村」(前編)

 

笠原村の成立


今回から3回にわけて「笠原村」の紹介をしていきます。


「笠原」の名前は現在、小学校・幼稚園・保育園・公民館など公共機関の名称として使われ、その由来は、明治22年~昭和31年まで存在した「笠原村」の「笠原」からとっているわけです。


しかし、明治22年に成立した「笠原村」は旧大須賀町の一部にまで広がる範囲で、現在の「笠原地区」とは異なります。


成立の経緯を紹介すると、明治6年の村合併によって江戸時代に形成された、旧横須賀藩領の三輪村・三輪村枝郷の三沢新田・清ヶ谷村・石津村・小谷田新田が合併して、まず山崎村となります。


明治19年になると、横須賀外三ヶ町村組合を組織し、役場を山崎小谷田の撰要寺および石津の泰岩寺に置き、明治22年に山崎村と岡崎村が合併して独立自治体を組織して、新たに「笠原村」が成立し、役場を三輪の永徳寺に置きました。明治24年10月には現在の三輪バス停付近に笠原村役場を新築し移転しました。


この新しい村の名前として中世に存在した「笠原荘」という荘園の名称が採用されます。「笠原荘」については次回に紹介しましょう。(Y)

 

参考文献

  • 『静岡県市町村合併沿革誌(第二巻)』 (S317 シ 2)
  • 『ふるさと笠原第1集』 (S234 フ 1)

※袋井市の歴史を調査研究の場合は、袋井・浅羽図書館の郷土資料コーナーをご利用下さい。